どうも不自由なYPです。
最近思うことが多くなってきたので自分の頭の中を整理するがてら記事にしてみようとキーボードをたたいています。
さて、ここ最近X(旧Twitter)のタイムラインで様々な意見が飛び交っているのを見るのですが、どうにも”その人との会話(絡み方)はないだろう”と思うことがしばしばあります。これは自戒にもなりますが、僕が思うにカードゲーム界隈はどうにもコミュニケーションがうまく取れない人が多いように思います。
話を戻して、絡み方つまりコミュニケーションが重要だと考えており意見が少し的外れであることはどうでもいいとすら考えているんですよね。
偉そうに言ってますが、僕自身もたくさんの失敗をしその都度周りの人から窘(たしな)められ、お叱りをいただき生きてきました。
意見の正誤はある種どうでもよい
どうでもいいとか書くと色々言われそうなんですけど僕はどういった意見でも完全に間違っているものというのは存在しないと思っていて、あくまでも個人の主張なのであればそれはある程度は理解されるべきものだと認識しており、真向反対意見でも「そういった考えもあるのだな」と受け止めればいいと考えています。
ただ会話であれば”言い方・伝え方”が重要で、あたかも自分と反する意見はダメだみたいな言い方をするのは良くないですし、それは失敗の仕方としては最悪なパターンだなと思っています。
やりとりはあくまでもやりとりであり、一方的にサンドバックのように意見をぶつけても得られるものは反感のみでどんなに素晴らしい意見でも伝わりませんし、人を不愉快にしてしまいます。
人と会話するときには相手の気持ちを考えよう
僕が小学校のときに学んだことですが、その時は電話を具体例として
電話は相手の顔が見えないから意図が伝わらないことがあるから慎重に確実に伝えようということを学びました。
そして昨今は電話どころかメールも廃れSNSでいよいよ見ず知らずの人と簡単に会話することができるようになりましたよね。
先の例では電話する相手は大方顔見知りだったりするわけで、更に声まで聞こえるのに”ちゃんと伝えよう”と学ばせないといけないコミュニケーション方法でしたが、最近のSNSでは自分の言いたいことだけを相手に伝えて(ぶつけて)いるだけの人が多いように思うわけですね。
この話題で持ちきりだったころ、随分な物言いで人に絡んでいく人がいました。
その意見が間違っていたわけではない(この話題の正誤はジャッジに委ねることに落ち着いた)のですが、その絡み方がひどく、意見自体は間違っていなくても言い方、伝え方で印象などが変わるものなんだなと思った次第です。
SNSはもちろんですが、人と接するとき、会話するときは相手のことも少し考えてあげるといいのかもしれませんね。
無限泡影の話題もういいよ、ジャッジの判断に任せようや。
— 不自由なYP (@Fujiyu_yp) April 24, 2024
争いはやめてみんなセックスすればええねん。イライラしたらセックスしたらええねん、なんでせえへんの?
SNSであっても人と話すときは気持ちを考えたほうがいいと思う件 まとめ
今回の記事で伝えたいこととして
- 意見の正誤はある種どうでもいい
- 問題は伝え方であり、コミュニケーションできないなら伝え方を考えたほうがいい
の2点です。
今回なんでこんなことわざわざ書いたのかというと、僕自身も少しツイートが伸びたりすると色々な意見をいただくことがあるのですが、どうにも自分の伝えたいことが伝わっていないのか分かりかねますがおおよそ対面で人に言わないだろうという言葉を投げかけれることがあったんですよね、それでちょっとこんな記事を書きました。
今回は以上です。